昭和46年当時より「1つの工場に納まるのなら、何故1つの会社にしないのか」という意見が同業者をはじめ多方面からよせられました。
当時この工場を建てる際リーダー役として苦労された故長澤力男社長をはじめ何人かは合併という事を全く考えなかったわけではないと思うのです。
しかし、当時ですら5社が全く同じ位の経営状態ではなかった事とそれぞれがオーナー社長として創業してきたというプライドなどの諸問題で断念したのではないかと思います。
しかし、その事によって各社がお互いにライバル意識を持ち続けて、きびしい不況の中でもなんとかやってこれた原動力にもなって、かえって良かったのではないかとおもいます。 |